ポルターガイスト



「ポルターが椅子とかも……!」
 教室が騒然となった。
 入ってきたばかりの教師に、数人のクラスメイトが駆け寄っていく。最後列、窓際の席から、一番遠い隅に教師をひっぱっていき、
「先生まただよ!」
「椅子が!」
 くちぐちに訴えている。その甲高い声が、あたまとおなかに飛び込んでくる。席から振り返って向けられる眼や、さされる指。こわいこわいとわめく口元は、しかしわずかに笑っていた。ポルターは気分が悪くなって机に伏した。
 どん。肘に何かが当たった。それはごろりとにぶい音を立てた後、がちゃん。
 そして教室が静まった。慌てて頭を上げると、どの顔にも硬直した表情が浮かんでいた。割れた瓶、こぼれた水、一輪の花。一斉に教室中が叫び出す。クラスメイトが机を蹴るようにして逃げ出す。その振動と合わせ、彼らの叫び声はポルターのおなかをかきまわした。ポルターは吐き気がした。
 突然、教師が奮然としてポルターのいる方へ向かってきた。ポルターは思わず立ち上がり、後ずさりをする。そして、窓から逃げ出した。


「それはアンモナイトだ」
 振り向き、見上げると、ジャン先生だ。先生は歩み寄り、ポルターがさっきまで眺めていた化石を見下ろした。理科室は、カーテンがかかっていて薄暗い。先生の白衣がぼうっと浮かび上がる。
「こんにちは、先生」
 ジャン先生は視線を化石から離し、少年に合わせた。
「授業はどうした、ポルター」
 先生の目に、理科室全体が映って見えた。並んでいる机、椅子の奥に、床と天井の近くにまで棚と引き出しがある。ひとつひとつに、標本やはく製がしまわれている。
「また、騒ぎを起こしてしまったんです」
 ポルターはそう言い、アンモナイトに向き直る。風が窓にかかっているカーテンを揺らし、午前の白っぽい光がすう、と伸び、そして縮む。硝子戸に映るそれを見つめていると、ぎぎい、と音がしたので、先生が後ろで椅子をひいて座ったことがわかった。
「これがか」
 再び振り向くと、ジャン先生が机に頬杖をついてにやりと笑っている。風がゆるゆる流れてきて、頬をなでていった。ポルターは先生の隣の椅子に座った。
「アンモナイトの絵を見たことがあるか」
 先生は、立ち上がって硝子戸に手をかけた。かちり、錠が外れる。そこからアンモナイトを取り出した。
「ここに」
 アンモナイトの、ぐるぐるの一番外側を指さす。
「いかのような奴が入っている」
「はい、見たことがあります」
 ジャン先生はポルターにそれを手渡した後、また椅子に座り、机に肘をついた。アンモナイトは、ポルターの両手に載るほどの大きさで、ずいぶんと重たかった。
「アンモナイトが死ぬと、殻の中のやわらかい部分は朽ちてしまう。代わりに砂や泥が入る。殻は砂の中に埋もれ、長い時間をかけて、化石になる」
 アンモナイトには、貝殻の裏のようにてらてら光る部分と、黒々とした部分があった。黒いところはすべすべと気持ちが良い。中心から放射状に、手の甲の骨のような起伏がある。
「中はもう、泥だけですか」
「いや、殻の中には、小部屋がたくさんあって、そこに結晶ができていることもある」
「結晶があるのですか」
 ポルターはアンモナイトを持ちあげて、カーテンの隙間から漏れる光の方へ掲げた。しかしそれは全く透けずに、ずしりと重たいままだった。
「死ぬと、からだのやわらかいところは朽ちてなくなるんですね」
「そうだ」
 それから二人は黙っていた。先生は硝子戸を眺め、ポルターはアンモナイトをなでていた。
 チャイムが鳴り、次第に廊下が騒がしくなってくる。誰かが笑う声がする。
 ポルターは立ち上がって、アンモナイトを棚に戻した。硝子戸を閉める。かちり、錠がかかった。
「そろそろもどります」
「そういえば」
 振り返ったポルターをもう一度見つめて、ジャン先生はまたにやりとした。
「この間、アンナ先生の机を見たが、理科のテストの答案、お前とリザだけまた未提出だったな。リザは最近どうだ」
「僕よりずっとクラスルームに溶け込んでいます。時々、僕でさえ見失いそうになるんです」
 先生はふ、と声を漏らし、立ち上がった。
「今度補習をしたいと思っているが、いいか? リザとポルター、お前たち二人、ここでだ」
 ポルターは先生につられ、声を出して笑った。
「よろしくお願いします。彼女にも言っておきます。では失礼しました」
「ありがとう」
 先生は、理科室の戸に向かうポルターをじっと見て、そう声をかけ、さらに続けた。
「しかし、俺はまあ、奴が今もどこかで泳いでいると思っている。もしかしたらその辺に居るかもしれんな」
 ポルターは、先程横切った、学校の池を思い浮かべた。まぶしい日差しが水面に反射する。対照的に、茂った草の陰では黒々とした水がちゃぷちゃぷ音を立てる。ひんやりしている。
 がらり。勢いよく戸が開いて、一人の生徒が入ってきた。
「アンナ先生、いるー?」
 準備室のドアをノックする。軽快な音がこんこんと理科室に響いた。

2010.9.11




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