うろん


 うろん、と輪を描くように動いてそれは消えた。
 あ、住み着いたかなあ。扉を開ききると、先程までそれのいた場所へ本が数冊倒れてくる。わたしのロッカーはあまりきれいでないし、今は駄菓子屋を入れて帰っているものなあ。作り掛けの駄菓子屋や新聞紙、粘土などを取り出す。案の定変わり玉の入っていた瓶が空になっている。食べ過ぎだよ……。わたしはため息をついた。
 今日はレジに取り組む。少しばかり古ぼけたレジを作りたいのだ。
 紙粘土をちぎったものを指先で丸める。部品それぞれの形を作ってから爪楊枝ですすんとなぞる。分針が揺れ、天井がぱきりと鳴る。だれかがホームランを打ち、その快い音と共に夕日が教室へ射した。窓枠や机の脚の影がでこぼこと描かれる。マネージャーの合図と男の子達の掛け声。現れては消えていく金色の粒子へ、賑やかなグラウンドのリズムが吸い込まれていく。わたしは爪楊枝で跡を付けてから、別の部分をつまみ、押し、形を整えて、出来たものを新聞紙へ並べる。白い粘土は初め指にしっとり吸い付くけれども、少しの時間で乾いていった。
 わたしがレジの取っ手に使う粘土を親指と人差し指で丸めている時、視界の隅で何かが動いた。顔をあげると机の上の駄菓子屋に、うろん、と消えたあいつが近付いている。黒い体のあちこちを、今日は赤や黄、緑、青へと変えながら這っている。時折それらは混ざり、名前の思いつかない不思議な色をつくる。うねうねと形も定めないそいつは、ガチャガチャの中のチューインガムを狙っているみたいだ。この間作ったばかりのそれはちょうど駄菓子屋に置いたばかりだった。小さく色とりどりな粒々にニスを塗るのは大変だったけれど、その分変わり玉とともに自信作でありお気に入りでもあった。黒いそいつは懸命に近付き、とうとうたどり着いた。ガチャガチャに巻きついても、ガムはもうプラスチックケースの中にあるから取れないのに。
「お金を入れてください、お客さん」
 わたしは笑いながらそう言った。たちまちそいつは駄菓子屋から這い出て、うろん、と輪を描いた。その時、夕日が教室から消えた。あいつももう見えない。わたしは辺りを見回した。ああ暗いなあ。埃っぽい教室の隅っこにあいつやあいつの仲間がいるような気がして、目を凝らしたけれどあまりよくわからない。静まり返った教室には他にもいろいろなものがいそうだなあ。わたしのこころはくつくつと鳴った。
 取っ手を作り、わたしはのびをして、片付けを始めた。手を洗いながら窓の外を見ると、グラウンドの彼らも土を整備したり道具を運んだりしていた。掛け声は聞こえない。時折誰かを呼ぶ声や笑い声が上がるのみだ。教室に針の音が響いた。使った道具も洗い、手を拭きながら新聞紙のある場所へ戻る。浅い菓子箱の中へ作ったものをひとつひとつ載せ、寄せていく。レジの引き出しを片付ける時、なにかキラキラと光っているものが見えた。つまみあげてみるとそれはいくつかの小さなビーズだった。わたしはそれを、消えてしまった夕日の色の残る空へ透かしてみる。同じ薄紫だ。別のビーズはまた違う方角の、白みがかった空の色。たまに誰かが落としてはそのままどこかへいってしまったものたちが、教室の隅や隙間へ集められているのだろう。
 レジにそのビーズを戻し、箱を持ってロッカーへ向かう。部活の終わりの挨拶が窓を抜けて教室へと広がった。すべてをしまい終え、最後に再び倒れていた本を直した時、それらの奥で何かがキラリと光ったような気がした。毎度あり、わたしはそう小さく言って、ロッカーの扉を閉じた。

2010.8.2(2011.2.26 改稿)




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