春の包み



「わあ。ふきのとうだ」
 冬の間に積もっていた雪は、ここ数日の陽気で消えていった。けれどまだ一面が湿った枯れ草で覆われている色のない空き地。何かが建つらしい、と聞いたことはあるけれど、そのまま季節を繰り返しながら子どもたちの遊び場となっている。その真ん中よりもこちらに近いところに、明るい黄緑がぽつ、ぽつと芽吹いていた。
 辺りを二度三度見回し日向子と私は目を合わせた。金属の棒を組んでできている空き地の囲いに足を掛け、くいっと体を持ち上げて着地。かばんの中身が音を立てる。草は沈んで雪融け水が滲みだす。まだ冬靴でよかった、と思う。日向子は笑いながらさっさと駆けだしてふきのとうのある場所でしゃがみこんだ。私は写真を撮ろうと、携帯電話を探しながらそちらへ向かった。
 春の包みが届いたよ。そんな言葉を思い出す。まだ土から顔を出したばかりのふきのとうは透き通った葉が丁寧に折りたたまれていて、本当に小さな包みのように見える。触れると変色してしまいそうだ。この中に春が眠っているんだ。そう言ったのは誰だったのだろう。母だろうか、絵本で読んだのだろうか、それとも。やわらかくって、春が目覚めるまでは誰も開けないなあ、そう思っていた。
 並ぶ住宅の向こうの通りで車のエンジンがかかる。顔をあげると、少し離れた木の下に黒ずんだ雪が残っていることに気付く。小鳥のさえずりや穏やかな音があふれている中、雪はひっそりとそこにある。ふと、冬の夕暮れが頭に浮かぶ。雪は群青へと染まり、誰かの話し声はどこか遠くに聞こえる。雪は街の音を吸いこんでしまう。マフラーに顔をうずめながら歩くと、自分の足音や吐息の音が聞こえてくるのだ。あの密やかな感覚が好き。これからの日々を過ごしていれば、そのような冬はまた訪れるのだろうか。小学校の頃は、融けかけてしゃりしゃりしている雪を排水溝に落としながら下校した。そうすれば早く新しい季節が来るような気がしていた。けれどなんだか今、あの雪をそうすることのできない臆病な自分がいる。融けたきり、もう、戻ってこなかったらどうしよう。そんなことを考えていると、ぴゅう、風が吹く。頭をじんわり温めてくれていたお日さまの光は流れていって、薄いコートの中で体が震えた。ううん、やっぱり今は暖かくなってほしい。冷たくなった指を動かして、手のひらを日光に向けた。
「いててて」
 長くしゃがんでいると足首やふくらはぎが痛くなってきたので立ち上がる。空の青と立ちくらみに、ぱらぱらと目の前が見えなくなる。息を吸いながら背筋を伸ばし、ためた後一気に吐く。瞬きをする。日向子はまだしゃがんでいた。そうやっているとふきのとうみたいだ。そろそろいこっか、そう言おうとしたとき、短い声を上げながら、彼女は立つと同時に走りだした。その勢いにびっくりして、おお、と声が出たきり言葉はどこかへ弾かれてしまった。空き地の奥にまた何かがあったのかもしれない。よく見ようとすると、先程よりずっと強い風が来て髪を荒らし後ろへ抜けていった。視界がすっきりする。それから脚になにかむずむずした感触が走る。私は後を追って駆けだした。向かい風で息が苦しい。かばんは重く、肩もちょっと痛い。日向子はどんどん行ってしまう。あ、写真。そう思って振り返ったとき、和らいだ空気の中に春の匂いがした。

2011.4.15




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